外因死である交通事故死を防ぐ法制度とてんかん
科学的究明と実情周知により、誰もが生きやすい社会を

痛ましい交通事故死。誰もが、その撲滅を願う。一方、モータリゼーションは進み「自動車の運転」はごく身近なものとなった。社会から人を排除しない交通安全とはどのようなものか。日本てんかん協会副会長久保田英幹氏にお話を伺った。

杉山春、鈴木美希

 

交通事故死は減少した

2016年、全国の交通事故死者が1949年以来、67年ぶりに4000人を下回った。2016年の自動車の保有台数は約8090万1000台、1949年当時の200倍を超える。事故発生の割合は大きく減少した。

事故減少の背景にはブレーキの性能などの自動車自体の技術革新。信号や歩道の整備といった道路の安全管理の徹底。交通安全教育の普及やそれによる飲酒運転等のモラル向上などが挙げられる。同時に法の厳罰化も効果があった。

2000年に神奈川県下で、飲酒、無免許、スピード違反の末に起きた死亡事故をきっかけに、悪質な運転手に対する厳罰化を求める署名運動が展開された。世論の高まりを受けて、翌年、危険運転致死傷罪が新しく定められ、その後も飲酒運転に対する厳罰化が進んだ。その結果、2013年には飲酒運転による死亡事故は危険運転致死傷罪制定前の5分の1に減少した。

さらに、2014年には「自動車の運転により人を死傷させる行為などの処罰に関する法律(自動車運転死傷行為処罰法)」が施行された。危険運転致死傷罪の対象にならない交通事故で、痛ましい死亡事例があること、厳罰を逃れるために、事故後飲酒をして事故当時の状況をわからなくさせる「逃げ得」が発覚したことによる。徹底して交通事故死をなくす方向へと法整備が続いた。

交通事故による死者の減少はもちろん喜ぶべきことだ。だが、法の厳罰化は、物流、人の移動などにモータリゼーションが不可欠な時代に新たな課題も生みだした。一定の人たちを利便性から排除する動きが生まれているのだ。その一例がてんかんを患う人たちだ。

てんかんが関わったとされる重大事故の実態を知る

2011年4月、栃木県鹿沼市で集団登校中の児童の列に10トンクレーン車が突っ込み、6人がはねられ、全員が死亡する事故が起きた。運転していたのは、当時、26歳の男で、てんかんの持病があった。彼は、それまでにも、交通事故を繰り返していたが、てんかんの持病があることを申告せず、服薬も怠っていた。男はこの事故で、自動車運転過失致死罪上限の懲役7年の判決を受けた。

さらに、2012年4月に、京都市の祇園で、ワゴン車が暴走し、時速70キロで電柱に追突、運転手の男性を含む8人が死亡する事故が起きた。この事故の原因もてんかんの発作によるものとされた。

この2つの重大事故により、てんかんと交通事故の関係がクローズアップされたのだ。法律の公布を目前にした2013年5月、日本てんかん学会(JES)と日本てんかん協会(波の会/JEA)の共催、日本障害フォーラム(JDF)の後援で、緊急シンポジウム『事故をなくしたいーー病気や障害と自動車社会の共存をめざして』が東京都内で開催された。

このシンポジウムについて、日本てんかん協会の情報誌「波」(2013年6月号)は次のように報告している。

「事故をなくすことは、誰もが望むことです。しかしながら、モータリゼーションの発展とともに公共交通機関が衰退していった地域、公共交通機関の整備が未整備のままモータリゼーションを取り込んでいった地域において、自動車に乗れないことは死活問題です。自動車を運転できない人の移動に関する施策は、病気や障害のある人に限らず、高齢者を含めた裾野の広い課題であり、高齢化社会を迎えた日本の地域社会のあり方そのものが問われている、と言っても過言ではありません」

罰則を強化するだけではなく、運転できなくなった人への移動に関する社会基盤の整備や、先端技術を投入した安全運転支援システムの構築を推進することで、不利益を被る人たちを極力減らす必要があるという訴えだ。

同シンポジウムのアピールは、「高齢者、病気や障害のある人、そしてあらゆる人の移動に関するバリアフリー社会」を望むと主張している。てんかんを患う人だけに関わる課題ではないというのである。

道路交通法とてんかんの歴史的関係

あらためて日本てんかん協会副会長久保田英幹氏にお話を伺った。

「日本では1919年に最初の道路交通法が施行されたとき、精神障害者は運転適性がないとされました。精神障害にはてんかんが含まれており、一度てんかんと診断されたら、運転免許は与えられませんでした。さらに1956年の改正では、法律にてんかんが明記されました。これが問題なのは、病名がついたら、状態に関わらず、即運転ができないという「絶対欠格」だったことです。状態の如何を問わず、病名により法律で資格や免許を制限するということは、国が病気や障害を差別することになる。法律は病名ではなく状態を示せばいい」

法的に病名を書かれてしまえば、てんかんは、個人がコントロールできない、危ない病気であると、社会は実体を知らないまま決めつけることになる。それが、社会の認識になれば、様々なところで、実態に合わないルールが広がり、場合によっては、そうした人たちへの、社会的排除が始まる。国家レベルでの差別となる。

「これが、2002年の道路交通法の改正で、てんかんは相対的欠格事由になりました。条件によって、免許が取得できるようになったのです。改正の背景には、1981年(国際障害者年)に国際連合が加盟国に対して、法律における差別を改正せよと指示を出したことがありました」

だが2013年、鹿沼市と京都での事故を理由に、てんかんに関して、再び厳罰化が進められようとした。その中で、てんかんをもつ人たちの立場にも着目してほしいという活動が活発化する。前出のシンポジウムの開催もその一環だった。

事故率はてんかんよりも青年や高齢者の方が上

交通事故死を何としても防がなければいけないという理念に社会の意識が集中するとき、リアルな現実が見えにくくなる。大切なことは、まず、実態を知ることだ。

ところで、てんかんとはどのような病気なのだろう。

この年にてんかん協会が警察庁交通局に提出した「『道路交通法改正試案』に対する意見」には、次のようにある。「薬や手術で70~80%の人の発作は止まり、50%の人は薬の服用を中止しています。残りの20~30%の人が、服薬にもかかわらず発作が止まらない人です」

てんかん発作と、糖尿病、脳血管障害を持つ人たちの事故率は、同じであるという調査結果も記された。

「特定の病気だけが危険かのごとき発想は、正しくありません。(略)特定の人を不合理に苦しめる。」

2011年にクレーン車を運転していた男は、それまでも繰り返し事故を起こしていた。服薬を怠っており、持病があることを警察に届けて出ていなかった。てんかんであったことが注目されたが、彼は自分の病気に対して無責任だったのだ。

鹿沼市と京都市の二つの事件では、どちらの運転手も病気を警察に届け出なかったことが糾弾された。久保田さんは言う。

「しかし、実際には届け出ない人たちの9割は、発作が止まっていて、運転適性があると推定されます。無責任な運転者による事故を防止するために必要なのは、不申告に罰則を設けて形式的に罰することではなく、制度の周知と、(危険性に気づいた場合の)医師の任意の申告で事足りるはずです」

同意見書は、免許証が就職に影響を与えることに対しても強い懸念を示している。

「てんかんが正しく理解されていない環境で、運転できない理由がてんかんだと告げる事は、当事者にとっては職を失うかもしれないという恐怖があります。しかし、実際にヨーロッパで行われた調査結果をみれば、てんかんをもつ人の運転は、若年者や高齢者、睡眠不足よりも安全です」

ヨーロッパでは、すべてのドライバーが死亡事故を起こすリスクの平均を1とすると、てんかんの既往はあるものの、それ以前、1年間発作を起こさなかった人の死亡事故を起こすリスクは、最大2.1になるという試算がある(Epilepsy and Driving in Europe Final report 04/03/05 )。

この計算式を当てはめると、寝不足での運転との事故率はほぼ同率。70歳以上や、25歳以下の男性たちの事故率のほうがずっと高い。

リスクゼロの社会はあり得るのか

「だからといって社会は「若い男性」は運転するなと責め立てるわけではありません。しかしてんかん患者が事故を起こすと責める風潮がある。それが社会のスティグマです。2011年のクレーン車の事故の数カ月後、ドイツでてんかんが原因の事故が起こり、国会議員が亡くなりました。しかし、それほど大きなニュースにはなりませんでした。社会には防ぎようのない、あるいは受容可能なリスクが存在する。リスクゼロの社会はないという前提があるからです」

治療の中で、減薬をする場合もある。減薬をする中で発作が出ることもあり得る。医師の指示により薬を調整した結果発作が起こっても、日本では2年間運転できなくなりますが、欧米の多くの国では元の処方に戻して、3カ月様子をみて、問題がなければ運転が可能になる。

法整備によって、全てのリスクを排除することはできない。そうであれば法律も、たとえば関わりのあるてんかんという病気をよく理解し、実際に患者たちの病気や治療の実態や、その生活までを理解した、作成・運用が必要になる。

メディカルコンディションという考え方

それでは、こうしたことを前提に、法的にはどのように考えたら良いのか。久保田さんは言う。

「道路交通法では、運転に必要なものは認知、予測、判断、操作の4つであるとしています。その4つが揃えば運転適性がある。病気であれ、薬物やアルコールであれ、この4つの要素のうち、どれか、あるいはいくつかが 欠けている場合、その程度によっては運転適性がないとされています。そして、その程度によってはということが重大なポイントです」

ちなみに呼気にある程度以上のアルコール濃度があれば酒気帯びで、それ以下であれば取り締まりの対象にならない。飲んでいるか飲んでいないか。オールオアナッシングにはなっていない。

てんかんの場合現在の法律では、自動車運転免許の可否は、医師の診断書もしくは臨時適性検査に基づき、都道府県の公安委員会が行なう。つまりその個人の状態の程度によって、運転が可能かどうかが判断されるようになった。
具体的には、次のような場合だ。

  • ア 発作が5年以内に起こったことがなく、医師が「今後、発作が起こるおそれがない」旨の診断を行なった場合。
  • イ 発作が過去2年以内に起こったことがなく、医師が「今後、X年程度であれば、発作が起こるおそれがない」旨の診断を行なった場合(Xは医師が記載する)
  • ウ 医師が、1年間の経過観察の後「発作が意識障害および運動障害を伴わない単純部分発作に限られ、今後、症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合
  • エ 医師が、2年間の経過観察の後「発作が睡眠中に限って起こり、今後、症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合

もっとも現在の法律は、病気をもつ人たちへの配慮は十分ではないと久保田さんは指摘する。

「法律には、一定の病気と書かれていますが、そのような言葉があることに違和感があります。海外では「メディカルコンディション」と言います。医学的状態、健康状態という意味で、特定の病気を指すわけではない、イーブンな表現です」

久保田さんは、実情に合わない法律はむしろ危険だと指摘する。法律そのものが無視されてしまうからだ。

法で禁じるのであれば、復帰の方法までを視野に

既に述べたように、日本では薬を減量中にてんかん発作が再発した場合は2年間運転ができなくなる。ヨーロッパでは減量中は運転はできないが減量後6カ月間発作が起こらなければ運転ができる。万が一6カ月内に発作が起これば薬の量を戻し、その後また3カ月経過をみて、発作が起こらなければ運転に復することができる。

「法で禁止したのであれば復帰の仕方まできちんと目処を立てることが必要です。労働の保障や福祉的な制度を充実させないまま、厳罰に処することは、適切ではありません。現実的なガイドラインを日本も作り、法律そのものを守りやすく、合理的なものに変えないといけない。そうやって交通安全は高まっていく」

こうした情報を周知徹底する必要もある。つまり、てんかんとはどのような病であり、社会的にはこの病では、どのような不利を被るのか、科学的に解明され、必要な対策を講ずることが重要だ。

てんかんの人たちの今後の移動の自由に関しては、テクノロジーの進化に期待すると、久保田さんは言う。

「自動運転は車だけでは難しく、道路、地図、法律などの整備も必要になる。そう考えると自動停止ができればいい。運転手の異常を察知して安全に停車してくれる技術があればいいのです」

モータリゼーションが進み、技術革新も進む。

「合理的な運用基準、病気で長期間運転を禁じられた人間への福祉的施策、運転できないことが失職につながらないような合理的配慮、中枢神経疾患のある人の運転など日常生活に対する先端技術の投入など、厳罰以外にも行うべき施策は多い」

そう、久保田氏は語った。

杉山 春

投稿者: 杉山 春

雑誌編集者を経て、フリーのルポライター。著書に、『ルポ 虐待 大阪二児置き去り死事件』『家族幻想 ひきこもりから問う』(いずれもちくま新書)、『ネグレクト』(小学館、第11回小学館ノンフィクション大賞受賞)等がある。8月に『自死は、向き合える 遺族を支える、社会で防ぐ』(岩波ブックレット)を出版。